【どんな舞台?】
5月20日、紀伊國屋ホールで初日を迎える『思い出のブライトン・ビーチ』の舞台は、ニューヨーク市ブルックリン区の南端、大西洋に面した海岸町ブライトン・ビーチ。ユダヤ人、アイルランド人、ドイツ人などの多く住む下層中流階級の住宅地で、ここに暮らすジェローム一家の人々の物語です。時は1937年の秋。
父さんのジャックは、昼は婦人服の裁断師として働き、夜は夜でパーティー用品をナイトクラブやホテルに売り歩く働き者。権威あり理解ある良き父親として、物心両面で文字どおり一家の柱となっています。
父さんは
たかお鷹。昨年秋に上演された『
缶詰』の公演で芸術祭優秀賞を受賞、今乗りに乗っています。厳しさとやさしさと弱さを合わせ持つこの役は、まさにうってつけと言えるでしょう。
母さんのケートは、貧しい家計のやりくりに追われながら、家族の健康や将来に毎日心を砕く典型的な専業主婦。でも母さんにも主婦は主婦なりのストレスがあって。
母さんは
藤堂陽子。1998年『ジンジャーブレッド・レディー』に続いてのサイモン作品ですが、前回とはがらりと変わった役柄へのベテランの挑戦が楽しみです。
◇余談@
ユダヤ系アメリカ人である父さんの親戚は今もヨーロッパにいます。幕切れで手紙が届き、その親戚がナチの迫害を逃れてポーランドを脱出、やがて渡米してくることが知らされます。
母さんの両親もまた、19世紀末にロシアから渡ってきた移民です。ですから、98年に上演した『
牛乳屋テヴィエ物語』のテヴィエたちと同じ運命をたどって、ようやくアメリカに流れ着いたのかもしれません。
兄さんのスタンリーは、高校を出るとすぐに帽子屋の店員として働き、家計を助けてます。思春期にある弟のユジーンにとってはまたとない、性の悩みのカウンセラーでもあります。
兄さんは
粟野史洋。昨年はアトリエの『
ザ・ウィアー(堰)』に出演、その時の純朴な青年役が印象的でした。今回もまた、悩み多き若者を溌剌と演じてくれることでしょう。
ぼく、ユジーン(
沢田冬樹)はこの物語の進行役。かなり成績のいい高校生で、作家か野球選手になるのが将来の夢。でも日々“春のめざめ“に悩んでいて、同居する従姉ノーラの胸と足が気になってしかたありません。
何といっても、99年『翔べない金糸雀の歌』におけるホモセクシャルの主人公役が鮮烈でしたが、今年もアトリエの『
柘榴変』に出演したばかり。ひさびさの主役に張り切っています。
◇余談A
野球少年にとって「ニューヨーク・ヤンキース」は永遠の憧れです。劇中にも当時の大エース、レッド・ラフィングや伝説の打撃王ルー・ゲーリックの名が登場します。とくに1930年代はヤンキースの第一黄金時代で、32年と、36年からは4年連続でワールド・シリーズを制しました。投手ではレフティ・ゴメスとラフィング、バッターではベーブ・ルース、ゲーリッグ、ジョー・ディマジオなどが大活躍、少年たちの胸を熱くしたのです。
ぼくの家には、母さんの妹一家3人も同居しています。
ブランチ叔母さんは、6年前に夫を亡くした未亡人。内職をして、でも、いつも父さんや母さんに遠慮しながら娘二人を育てています。
叔母さんは
寺田路恵。昨年のアトリエ『心破れて』を負傷降板して以来、久々の文学座公演カムバック。生活に疲れながらも、いまだ女の華やぎを失っていない女性を、きっと魅力的に造形してくれることでしょう。
従姉のノーラも高校生。ブロードウェイのスターを夢見て、放課後はダンス教室に通っています。僕の目下のアイドル。
従妹のロリーは心臓が弱く、みんなから過保護気味に扱われています。そのとばっちりが僕に回ってきて、僕は大迷惑です。
ノーラの
松本芽育とロリーの
村松えりは、ともに今春、付属演劇研究所を卒業したばかりの研修生。新人らしいフレッシュな演技で大抜擢にこたえてくれるでしょう。ご注目を!
95年に大好評を博した『噂のチャーリー』に続いてサイモン作品に挑む
坂口芳貞と、適材適所の俳優たち――5月・紀伊國屋ホールの舞台から爽やかな薫風をお届けいたします。
心癒される家族のドラマ 児嶋 一男
アメリカはさまざまな人種からなる国である。そうした状態を以前は「人種のるつぼ」と言っていたが、最近は「シチュー鍋」とも表現する。
それぞれの人種の個性を溶かして消してしまわずに、人種本来の特徴という素材の持ち味を活かしたままで、アメリカ社会というシチュー鍋は作られるべきだと考えるからである。
これには、自分がどの人種かという意識がきわめて根強いということが関係している。江戸っ子ならば三代続きさえすれば本物と呼ばれるのに、いつまで経っても「〜系アメリカ人」という意識は消えないという。100パーセントのアメリカ人になるのは、なかなかにむずかしいことのようである。
1937年、ニューヨークのブルックリン地区の南端、大西洋に面したブライトン・ビーチという町にマーフィという中年男が母親と暮らしていた。やがて21世紀にはアメリカの人口の約2割を占めることになるアイルランド系アメリカ人である。
アイルランド人は800年とも言われる長い間、隣国の支配に苦しみ、19世紀半ばの大飢饉の際には多くの人びとが流浪の民とならざるを得なかった民族である。やっとの思いでたどり着いたアメリカでも、「イギリス系の白人でプロテスタント派のキリスト教徒」というアメリカ人の標準からはずれた彼らは、劣等民族という烙印を押されたままに、いわれなき迫害に苦しみ続けたという。
その憂さ晴らしもあったであろう、アイルランド系移民は「大酒のみ」ということになり、「低劣な一族」と評されるようになる(エメラルド・グリーンのアイルランド島では、「よそ者を心優しく受け入れる饒舌な人びと」と語り伝えられてもいるのだが……)。
こうした「アル中」と噂されるアイルランド系アメリカ人のマーフィ母子の向かいに住んでいたのが、ジャック・ジェロームと妻ケート、二人の息子スタンリーとユジーン、ケートの妹ブランチとその娘ノーラとロリーで、皆ユダヤ系のアメリカ人である。
時代は1937年9月。第二次大戦は間近に迫りつつあった。スペイン内乱におけるゲル二カの爆撃が、1937年4月。1938年にはヒトラーによりオーストリア併合が宣言され、ユダヤ人虐待が広がっていた。『サウンド・オブ・ミュージック』で、トラップ一家がスイスに逃れたのもこの年である。
差別と迫害に耐えながら世界各地に住むユダヤの人びとにとって、災禍を逃れてヨーロッパを脱出する親戚の消息は、気がかりであったろう。ユダヤ人であるがゆえに辛らつな経験や痛烈な自意識を持つ同朋と同様に、ジェローム家の人びともまた、暗い不安の気配を胸の奥底に感じていたはずである。
しかし彼らは、家族の絆を何よりも大切にしながら、互いの信頼を深めつつ生きていた。
ジャックは一家の指針であり、家長の責任を果たすべく仕事に精を出し、子供たちの信頼厚い父親であろうと努めていた。妻のケートは家事一切を取り仕切り、家族に献身的に尽くしていた。子供たちは世代の異なる親たちの価値観に多少の違和感を覚えはするが、それは大人になっていくための通過儀礼として昇華された。経済的にはひどく貧しい暮らしだが、夫婦・親子・兄弟・姉妹の間柄は、深い愛情によって結ばれていたのである。
皮肉家ならば「時代錯誤の家族観」と冷笑するかもしれない。『思い出のブライトン・ビーチ』は自伝の要素が色濃いと言われているから、作者ニール・サイモン(1927〜)が自分の過去を美化しただけ、と冷ややかに応じる人もいるだろう。
一方、人間は善良な存在であるということをお互いに信頼しているからこそ、平和な社会生活が営まれているのだ、と思う人は多いであろう。あるいはまた、何かにつけて世の中せちがらいと嘆くことが最近多くなったと言う人もいるだろう。そういう人は、家族という小さな生活単位の中で愛情や信頼が確認されるというジェローム家の人びとを観ると、心が癒されるはずである。
ならば、昔気質の母親で主婦のケートには、同じように人種を根拠に迫害されている者として、アイルランド人にまとわりつく噂を先入観に、マーフィ母子を毛嫌いしてほしくない。そう感じる人もいるであろう。
しかし、浅はかな優越感、大なり小なりのずるさ、小賢しさ、弱気、妬み、その他もろもろの欠陥があっての人間である。それだからこそ、ジェローム家の人びとの誰もが身近に思えるのである。不完全な部分を自分にも他人にも認め、それを表に出してしまったことを赦しあえるからこそ、『思い出のブライトン・ビーチ』の人びとには、胸にしみる優しさを感じることができるのである。
この優しさ、自己や他者の欠陥も含めたその特徴を互いに認め合える優しさを、皆が示せるようになれば、アメリカ社会に限らず、世界は平和な「シチュー鍋」になるのであろうが……
(独協大学英語学科教授)
僕は14歳、夢は野球選手か作家になること。
父さんは懸命に働き、母さんはしっかり家を守る。
母さんの口癖は――世界も家族があってこそ!
1937年、ニューヨークの片隅に暮らす貧しいユダヤ人一家。
その至高の家族愛を少年の目をとおして暖かくユーモラスに描き、
笑いと涙を誘うニール・サイモンの自伝的3部作の第1章!
突然ですが、いま流行の"カウントダウン"文学座を。
今年を含む過去七年間の作家別上演作品数ベスト4です。
四位は
森本薫、有吉佐和子、川ア照代、平田オリザ、
鈴江俊郎、鐘下辰男、鄭 義信のいずれも二作品、
二位は
江守 徹と
ニール・サイモンの三作品、
そして一位は
別役 実の四作品といったランキングになりました。
なかではやはりニール・サイモンの健闘(?)が光ります。
海外の作家では唯一のランクイン、しかも七年の間に三作品、これは充分特筆に値するでしょう。
さらに言えば、文学座ばかりでなく、ここ数年いろいろなプロダクションによって
サイモン作品が次々に上演され、我が日本でもブームとよべるほどの活況を呈しています。
ニール・サイモン作品の魅力
「ぼくの喜劇の理想は、すべての観客が笑いに身をよじって床に転がり落ち、
ついには笑いすぎて卒倒する人が出るようにすることだ」と、
かつてニール・サイモンは言いました。
そのとおり、1961年に『カム・ブロー・ユア・ホーン』でデビュー以後、
『裸足で散歩』『おかしな二人』などの超ヒット作を毎年にように発表、
喜劇作家として絶大な人気と第一人者の地位をいまも保ち続けています。
巧みなジョークや爆笑を誘う卓抜なせりふ術、
確かに彼はシチュエーション・コメディの達人です。
文学座が95年にはじめて上演したサイモン作品『噂のチャーリー』は、
原題にあるとおりの「ファルス」の傑作でした。
しかし、それだけでは、その魅力のすべては語り尽くせません。
彼の作品の根底には常にシリアスなテーマが潜んでいるのです。
いくつかの例外を除く彼の作品の多くは、私たちの身近のどこにでもいそうな登場人物たちが、
夫婦の危機、親子の対立、失業、人間不信、老齢化、アル中などといった、
極めて普遍的で日常的な問題や事件に直面して奮闘する姿を描いています。
私たちを楽しく笑わせながら、現代社会で、特に生存競争の激しい大都会のただ中で
必死に生き抜く人々が直面する深刻な問題を、喜劇と言う形式を通して提示している作家。
これこそがむしろ、ニール・サイモンの真の姿、その本質なのかも知れません。
文学座第二作として九八年に上演した『ジンジャーブレッド・レディー』は、
まさにアル中から立ち直ろうとするヒロインを直視した、心温まるシリアス・ドラマでした。
静かな感動を呼ぶドラマ
そして、第三作目が今回の5月・紀伊國屋ホール公演、
ニール・サイモン=作、鳴海四郎=訳、坂口芳貞=演出
『思い出のブライトン・ビーチ』です。
この作品は、半自伝的意味合いを持つ回想録形式三部作の第一部で、
1983年初演、ブロード・ウェイで1000回を越すロングランを記録し、
同年度のエミー賞を受賞しました。
時は1937年。
29年10月のウォール街の株価大暴落に端を発した世界的経済大恐慌は
いっこうに収まらず、この頃、大不況はますます深刻化していました。
舞台はニューヨーク市ブルックリン区の南端、大西洋に面した海岸町ブライトン・ビーチ。
貧しいユダヤ人一家、作者の分身である14歳の少年と
その家族をめぐって展開する物語です。
この作品の魅力を、早川書房刊「ニール・サイモン戯曲集」の解説で
酒井洋子さんは以下のように記しています。
――地味だがさっくりした味わいの家庭劇となった。
母親ケートの台詞“世界も家族があってこそ“に集約された人生観を軸に、
兄弟姉妹、親子の交情をさらりとした筆致で、だがリアルに描いて観客をホロリとさせ、
間髪をいれずユジーンのユーモアで笑わせてきりっと引き緊める呼吸は、
名人が軽く舞っているといった印象だ。
だがテーマは相当に重い。
一つ屋根の下の、交々の騒乱がおさまり、
やがて戦雲の垂れこめる欧州から颯颯と吹き寄せる風の中に、
“自由のため、同胞のため、どんな苦労も耐えてみせる”
と結束して凛と立つユダヤ人家族の肖像は
豊かな現代のアメリカが忘れかけていたものを思い出させて
静かな感動を呼ぶ。――
同じ不況下で、先の見えにくい殺伐とした時代をいきる私たちにも、
この『思い出のブライトン・ビーチ』とそこに描かれた家族像、
オアシスのような一瞬の安らぎをもたらしてくれることでしょう。
私たちがいつか忘れてしまっている青春の苦悩と歓喜。
初めて踏み込む新しい世界・未来への期待と不安。
そしてなによりも深刻な、我慢しきれない"春の目覚め"!!
いぶし銀のように味のある中堅俳優と、若さにはちきれそうな秘密兵器的俳優たち。
文学座の頼もしい仲間と共に、楽しく、おしゃれに、そしてくそ真面目に、
21世紀のスタートをきってみたいと思います。
今は亡き劇作家・金杉忠男さんの言葉を拝借しまして、
"寂しかったらフラリとおいで、けっしてタダじゃ帰さねえ!"
(演出 坂口芳貞)