| 2002.12.06更新 |
平成14年度文化庁芸術団体重点支援事業 文学座創立65周年記念 Honour |
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2002年12月11日(水)〜23日(月) 信濃町・文学座アトリエ (ここをクリックすると地図が出ます) |
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| :出演: 小林 勝也 吉野 佳子・鬼頭 典子・岡 寛恵
【 公演情報 】
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| 【 物 語 】 |
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優れた詩人でもあり小説家でもあったオナーは、結婚して32年、
夫のガスとともに娘ソフィーを育てながら穏やかな家庭を築いてきた。 夫のガスはジャーナリズムを代表する大物文芸評論家。 その夫のもとに作家志望の編集者クローディアがインタビューに訪れる。 知性ある大人と思われたガスだったが、 若く美しいクローディアの誘惑に心が揺らぎ、やがて家庭にも亀裂が生じて・・・。 人生の秋を迎えた夫婦、その充たされぬ思いや渇望が 繊細なタッチで余すところなく描き出される。 |
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| 【どんな舞台?】 |
| 『オナー』が描き出すもの 佐和田敬司 『オナー』の作者、ジョアンナ・マレースミスは、1962年、文芸評論家スティーブン・マレースミスの娘として生まれた。スティーブン・マレースミス(1922〜88)は、教養あるオーストラリア人ならば誰でも知っているオーストラリア文壇史上の巨人で、オーストラリアの最も重要な文芸雑誌のひとつ『オヴァランド』を創刊したことで最も知られている。『オヴァランド』は、1950年代にマルクス主義に軸足をおき、労働者階級の読者や作家たちを先導する目的で創刊された雑誌で、スティーブン・マレースミスは死去するまで30数年に亙り編集者をつとめた。また、ヘンリー・ローソンやマーカクス・クラークなどオーストラリア古典文学の批評で文壇に絶大な影響力をもっていた。『オナー』に登場するガス・スペンサーの人物設定と、このスティーブン・マレースミス像は、かなり重なる部分がある。 ジョアンナ・マレースミスは、メルボルン大学在学中から戯曲を執筆し始め、1990年にはプレイボックスによって『アトランタ』が上演された。プレイボックスはメルボルンを代表する劇団で、オーストラリア人劇作家の手による良質の戯曲を専ら上演することを方針としている。それは、70年代に当時のオーストラリアの劇界が英米戯曲に独占されていた状況を打破するために創設されたプレイボックスの一貫した姿勢である。ジョアンナ・マレースミスは、優れた作品群とその興行的な成功によって、プレイボックスに作品を提供する中心的劇作家の一人となった。さらに2003年にはオペラ・オーストラリアによってマレースミスの手による新作オペラが上演されるなど、いまや彼女は様々なメディアを通して、オーストラリアを代表する表現者の一人としての地位を築きつつある。 ジョアンナ・マレースミスが『オナー』をプレイボックスに書き下ろしたとき、彼女は33歳の若さだった。熟年女性オナーの精緻な人物設定と、作者のギャップに驚く人も多い。だが、作品は主人公だけでなく、娘や、価値観の違う夫の若い愛人の存在も重要な意味を担っていて、そこに彼女ならではの視点があると思う。 例えば、本妻のオナーと愛人のクローディアには、実は夫ガスとクローディアが出会うずっと以前から魂の交流のようなものがあった。オナーはクローディアを一目見て自分の若い頃に似ていると感じ、クローディアはすっと昔からオナーの文学の信奉者だった。オナーとクローディアの魂の交流は、不倫ものの定石である男を取り合う女同士の争いとは、全くかけ離れたところにある。オナーはクローディアに目を見開かされ、クローディアはオナーに関わりを持つことで成長する。夫、愛人、本妻の3人が同時に舞台に立って修羅場を演じる場面がなく、常に一対一で向き合う設定は、お互いの生き様をぶつけ合い人生そのものを揺さぶるためになくてはならないものだ。クローディアと娘のソフィーが向き合う場面でも、父を取った女とその娘という間柄であるにもかかわらず、お互いに刺激を受け合うことになる。 マレースミス自身の言葉によれば、ガスの浮気は、女性への愛の裏側に「再生したいという衝動、人生の残り時間を意識せざるを得なくなってきたときに、自分を見つめ直したいという衝動」があるという。これはオナーにも当てはまる。彼女は、夫とも、娘とも、若き日の自分を彷彿とさせる女性とも対峙して、「自分を見つめ直」そうとしている。そこに使い古された不倫ものや典型的な人間関係とは異なる、今を生きる女性のリアリティがある。 男と女の愛憎の問題を超えて、人生の問題へと昇華させていくオナーの心の動きにこそ、この作品が世界各国で多くの支持を得る理由があるのだろう。 (早稲田大学助教授) 愛と絆と自立をめぐって 西川信廣 絆というものがある。家族の絆、親子の絆、夫婦の絆、男と女の絆……。それはある年月を重ねることで、確かにあるものなのだが、普段、私たちはそれがあることさえ忘れ、またどれほど強いものなのかはかる術を知らない。しかし、例えば大きな災いが家族に降りかかるとか、誰かが危機的な状況に陥ったとかしたとき、その絆の強さと確かさを感じるのである。もちろん、その反対に強くあると思っていた絆が、脆く、不確かで、年月を重ねて培ってきたものが、強い絆ではなく、深い溝だったという場合もある。 強い絆をささえるものは、つまるところは愛であろう。愛の大きさと強さが、絆を支える。その愛について新約聖書にはこう書いてある。 愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法しない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛はいつまでも絶えることがない。 愛のあるべき姿であろうが、私はこれほど寛容で情け深くはなれない。むしろオスカー・ワイルドの「人は誰でも自分の愛するものを殺してしまう」という言葉や、ローマの詩人オウィディウスの「愛とは一種の戦いである」という言葉のほうに共感が持てる。それにしても、愛とはすべてを包み込む大きく寛容なものなのか、それとも戦いによって相手を殺すほど激しいものなのか?そして、その愛によって支えられる絆は、どれほど強いものなのか? 『オナー』の台本を初めて読んだとき、愛について、人と人との絆について考えさせられた。主人公のオナーとガスのカップルは知性も教養もあり、経済的にも恵まれ、32年の歳月を幸せに送ってきたいわば理想的なカップルである。そこへ訪れた突然の侵入者、クローディア。彼女は、一般的に言えば、中年男のガスを惑わし、幸せな家庭を壊した不届きな女だろう。しかし、オナーとガスのカップルに彼女が投じた一石は、男と女の愛と絆を考える上で決して小さくはない。 オナー 誰かを愛したら、その人に輝いていてほしくなる。相手の成功は、自分の成功よ―― クローディア じゃあ、人生を相手に託して生きてるってことですか? オナー 相手を成功させてあげるために寄り道をするのが、男だって女だってどっちでもいい――それが愛よ―― クローディア そうですね。でもいつもそれは女性でしょ? オナーとクロディアの愛と絆とそして女性の自立をめぐっての対話に解答はない。 愛がほかのことにもまして困難なのは、愛が高まってくると、自分をすっかり投げ与えようとする衝動が起こってくるからです。 ――リルケ「書簡」 ガスとオナーの年月を重ねる中で育まれた愛と絆、ガスとクロディアの一瞬のうちに高まった愛。そのどちらかが本当の愛なのかにも解答はない。そこにオナーとガスの娘ソフィーも加わった4人の登場人物の愛と絆と人間の自立についての心の揺れは、そのまま作者自身の心の揺れであろう。作者は解答を出さずに、そのまま私に投げかけてきた。私は観客の皆さんにそのまま投げかけるつもりである。その解答は私たちの中にあるのか? |
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| 2002年アトリエの会の掉尾を飾る、ジョアンナ・マレースミス=作、佐和田敬司=訳、西川信廣=演出『オナー』が、12月11日に信濃町のアトリエで待望の開幕を迎えます。近年、演劇界のみならず文学や映画の分野などでも優れた作品を次々に生み出し、華やかな話題を提供しつつあるオーストラリア。そのオーストラリアから発せられた現代劇の秀作、文学座初登場です。 まずはストーリーからご紹介しましょう。 優れた詩人であり小説家でもあったオナーは、結婚して32年、夫のガスとともに娘ソフィーを育てながら穏やかな家庭を築いてきた。夫のガスはジャーナリズムを代表する大物文芸評論家。その夫のもとに作家志望の若い編集者クローディアがインタビューに訪れる。やがて、ガスとクローディアは恋仲になり、ガスは家を出て行く……。 人生の秋をむかえた夫婦、その充たされぬ思いや渇望を、繊細なタッチで余すところなく描き切った会話劇の傑作です。 * 作者のジョアンナ・マレースミスはオーストラリア文学界を代表する劇作家であり、小説や児童書作家としても世界的に広く知られています。すでに発表され上演された戯曲としては、 『BOMBSHELLS』 『NIGHTFALL』 『REDEMPTION』 『HONOUR』 『LOVE CHILD』 『ATLANTA』 『FLAME AND RIDGE'S LOVERS』 などがあり、中でも特に今回上演の『オナー』は、1996年、ヴィクトリア州首相文学賞を受賞した作品で、同じ年にニューヨークでメリル・ストリープとサム・ウォーターストンによりリーディング上演されています。続いて98年にはブロードウェイにも進出、トニー賞の二部門にノミネートされるなど大好評を博しました。さらに一年間のロングランを記録したブラジルをはじめ、ポルトガル、マレーシア、メキシコ、クロアチアなどでも取り上げられて、観客の熱い支持を獲得しています。わが国では、今年2月に演劇集団円が初演して話題を呼んだばかりです。 * 作者はこの作品の主題に触れて、次のように述べています。 「本物の愛は時間や試練を経て実りを迎えるものなのでしょうか、それともそれはただの、友情や愛着にすぎないのでしょうか?本物の愛には、情熱がなくてはならないのでしょうか、そして、それゆえに常に移ろいやすく、はかないものなのでしょうか?」 何千年にもわたって文学や芸術が問い続けてきた、古くて新しい「愛」というテーマ。その意味や形が「オナー」という作品を通して、アトリエの舞台にどう表現され、どんな実を結ぶのでしょうか?その開幕が待たれます。 |
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| 『オナー』は、1995年にプレイボックスによって初演(主演はジュリア・ブレーク)。自身の父親をモデルに採り上げながら、「結婚や愛、相手への誓いや誇り」といった問題を繊細なタッチで戯曲化したこの作品は、その後オーストラリア各地を巡演し好評を博した。翌年には、主役のオナー役にメリル・ストリープを迎えてリーディング上演され、1998年4月にブロードウェイ(ベラスコ劇場―演出ジェラルド・グーティエレイス、オナー=ジェーン・アレグザンダー)で上演されている。 日本では、1999年にオーストラリア演劇を紹介する「国際演劇交流セミナー」(日本演出者協会主催)のプログラムとしてリーディング上演され(ギャラリーX―出演=小林勝也、奥山美代子、鬼頭典子、新井純)、ジョアンナ・マレースミス自身もプレイボックスの芸術監督オーブリー・メラーとともに来日し上演に立ち会ったほか、明治学院大学とギャラリーXで公演も行った。本年には演劇集団円がステージ円のオープニング作品として上演を行い好評を博した。 |
《作者・ジョアンナ・マレースミス》 1962年生。父親は著名な文芸評論家スティーヴン・マレースミス。 メルボルン大学在学中に戯曲を執筆し始める。1990年『アトランタ』がメルボルンの劇団プレイボックスによって上演されて以来、同劇団に作品を提供する中心的劇作家となり、以後、『ラブ・チャイルド』(1993)、『オナー』(1995)、『罪の償い』(1997)、『夕暮れ』(1999)などの戯曲を発表。代表作『オナー』はヴィクトリア州首相文学賞に輝いた。 今年は、最新作2作品、メルボルン・シアターカンパニーの『Bombshells』プレイボックスの『Rapture』が上演されている。また映画・テレビの脚本、児童文学など他分野での活躍を目覚しく、特に小説『「Judgement Rock』(2002)が現在国内で話題を呼んでいる。また、2003年にはマレースミスが書いた新作オペラ『Love in The Age of Therapy』は、豪を代表するオペラカンパニー、オペラ・オーストラリアによる上演が予定されている。 |
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