| 2002.04.07更新 |
《三創立者記念公演》は、公演を終了いたしました。
ありがとうございました。
2002.02.05更新
| 文学座創立65周年 三創立者記念公演 | ||||
| チラシ | 公演日程 | 1・2月公演 久保田万太郎 |
2・3月公演 岸田國士 |
3・4月公演 岩田豊雄(森本薫作品) |
2002年文学座1・2月公演
文化庁芸術創造特別支援
久保田万太郎作品
| (1889〜1963) 明治22年、東京・浅草生まれ。 袋物製造販売の家業は継がず慶應義塾大学に進学。 明治44年、「三田文学」に小説「朝顔」、戯曲「遊戯」を発表して作家デビュー。 その後、新派、築地小劇場、築地座、文学座などで数々の演出を手がけ、 日本演劇界の重鎮としてその発展に多大な功績を残した。 また、俳人としても名高い。 昭和32年、文化勲章受賞。昭和38年5月6日死去。享年73歳。 |
配 役 物 語 どんな舞台? 稽古場の様子は? チケット最新情報
:スタッフ:
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| 2002年 | 月 | 1月 | 2月 | |||||||||||||||
| 日 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | |
| 曜 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | |
| 開演 時間 |
11:30 | - | - | - | - | ○ | - | - | 休 演 |
- | - | - | ○ | - | - | - | - | - |
| 13:30 | - | ○ | ○ | ○ | - | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | - | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ||
| 16:00 | - | - | - | - | ○ | - | - | - | - | - | ○ | - | - | - | - | - | ||
| 18:30 | ○ | ○ | ○ | - | - | - | ○ | ○ | ○ | - | - | - | ○ | ○ | ○ | - | ||
前売・予約開始●2001年12月21日(金)
入場料●一般5,500円(全席指定・税込)
学生3,800円(取扱いは文学座のみ)
前売・予約●文学座03−3351−7265(10時〜17時30分/日祝を除く)
チケットぴあ 03−5237−9988・9999
お問合せ●文学座 03−3351−7265(10時〜18時/日曜・祝祭日を除く)
| 大寺三平 | 大寺代用小学校校長 | …… | 加藤 武 | |
| 峰 一郎 | 高等科受持の先生 | …… | 関 輝雄 | |
| 光長正弘 | 尋常科受持の先生 | …… | 飯沼 慧 | |
| 玉守久一 | 新任の先生 | …… | 醍醐貢正 | |
| 高桑虎夫 | 卒業生、学生、祝賀会発起人 | …… | 早坂直家 | |
| 佐々木善吉 | 〃 | …… | 大場泰正 | |
| 岩田 清 | 〃 | …… | 大原康裕 | |
| たか子 | 校長の姪 | …… | 平 淑恵 | |
| お久 | たか子の裁縫の弟子 | …… | 石井麗子 | |
| おあき | 〃 | …… | 立石まゆみ | |
| おくめ | 〃 | …… | 渡辺多美子 | |
| おたま | 〃 | …… | 太田志津香 | |
| 岩井屋 | 古着屋の若主人 | …… | 白鳥 哲 | |
| 片倉 | 骨董屋の若主人 | …… | 岡本正巳 | |
| しん馬 | 落語家、祝賀会の出演者 | …… | 鵜澤秀行 | |
| おゆき | 生徒 | …… | 上田桃子 | |
| おてる | 生徒 | …… | 村松えり | |
| 丸山菊野 | 琴の師匠、祝賀会の出演者 | …… | 本山可久子 | |
| その弟子 | …… | 小堤美紀 | ||
| 雑賀屋の隠居 | 祝賀会の客 | …… | 今村俊一 | |
| 夜学の生徒/中学生 一 | …… | 並木大輔 | ||
| 夜学の生徒/中学生 二 | …… | 木津誠之 | ||
| 夜学の生徒/中学生 三 | …… | 植田真介 | ||
| 夜学の生徒/中学生 四 | …… | 高橋正徳 | ||
| せんべいやの店の者/車掌 | …… | 城所雅友 | ||
| 雑貨屋の孫娘 好子 | 女学生、祝賀会の客 | …… | 山本ゆめ | |
| 徳田のおばさん | 祝賀会の客 | …… | 南 一恵 | |
| 伊勢屋の内儀 | 祝賀会の客 | …… | 山本道子 | |
| 在郷軍人 大塚 | 祝賀会の客 | …… | 脇田 茂 | |
| 鳶の島田 | 祝賀会の客 | …… | 文殊康明 | |
「三創立者記念公演」第一弾、久保田万太郎=作、戌井市郎=演出『大寺學校』が開幕、久保田戯曲屈指の名作がアトリエの空間に見事に甦りました。万太郎調と呼ばれる独自の台詞回しやリズムを再現できるのは、やはり文学座の俳優たちしかいない、そんな思いを改めて抱かせるに十分な舞台成果といえるでしょう。加藤 武を筆頭に熱演を展開する充実の演技陣をどうぞご堪能ください。
久保田万太郎と文学座
森 秀男(演劇評論家)
今年創立65周年を迎える文学座は、記念公演の柱として、深い由縁を持つ三人の作家――久保田万太郎、岸田國士、森本薫の作品六篇を選び、1月から4月にかけてアトリエで連続上演する。ここでは三人の文学座との関わりを中心に、その足跡をたどってみたい。
文学座は1937年9月に、岩田豊雄、岸田國士、久保田万太郎の三人を発起人に結成されたが、これは築地座の流れを受け継ぐものだった。
小山内薫の死を契機に築地小劇場は1929年に分裂したが、退団した友田恭介、田村秋子夫妻は、劇団新東京を経て、1932年に築地座を旗揚げした。
その有力な後援者となったのが久保田万太郎と岸田國士で、後から岩田豊雄も加わった。築地座は劇団経営の行きづまりから36年に解散したが、それを惜しんだ三人は、友田、田村夫妻を舞台に専心させるために新しい劇団を興し、幹事として運営にあたることを決めたのである。
しかし、旗揚げの準備が進んでいたときに友田恭介が出征し、10月に上海で戦死するという蹉跌が起き、それに従って田村秋子が出演を固辞したため、年内に予定されていた企画は中止になった。
翌1938年3月に延期された第1回公演は「試演」の名で行われ、「公演」の文字が使われたのは1940年の第11回からである。
文学座の成立前後の事情に簡単に触れたが、久保田万太郎は1889年に東京浅草の袋物商の家に生まれた。
慶応大学文科在学中の1911年、「三田文学」に発表した小説『朝顔』と、「太陽」の懸賞に入選した戯曲『Prologue』で新進作家として認められる。
大学を卒業後、身辺の不幸も重なって、自ら「暗黒時代」と呼ぶ低迷期もあったが、1917年に発表した小説『末枯』で立ち直り、劇作家、小説家、俳人として独自の境地を築いていった。
戯曲について言えば、『雨空』(1920年)、『不幸』、『短夜』(1924年)、『大寺學校』(1927年)、『彌太五郎源七』(1929年)、『かどで』(1931年)、『釣堀にて』、『螢』(1935年)、『ふりだした雪』(1936年)、『萩すゝき』(1941年)、戦後では『あきくさばなし』(1946年)などを代表作として挙げたいが、このほかにも佳品といえるものは多いだろう。
万太郎戯曲の作風は、初演以来ほとんど一貫して変わらない。
浅草をはじめ東京下町の市井に生きる商人、職人や芸人などの生活とその哀歓をえがき、亡びゆくものへの愛惜を湛えたことで『歎かいの詩人』と呼ばれた。
しかし、そこには単なる懐古的な感傷はなく、磨き抜かれたせりふと「・・・・・・」の表記を多用した独特の間とによって、繊細な心理劇としての世界を構築しているのである。
文学座が発足以来、久保田作品をたびたび取り上げてきたのは当然だが、『ゆく年』、『釣堀にて』、『螢』、『心ごころ』、『短夜』、『彌太五郎源七』、『大寺學校』などの旧作だけでなく、1941年の『砂の上』、1942年の『町の音』のように新作の初演もあった。
創立10周年の1947年に上演された『あきくさばなし』も新作である。
久保田万太郎は1963年5月に急逝した。文学座が二度にわたる大量脱退で存立の危機に立たされた年だが、9月には追悼公演として『雨空』と『萩すゝき』が上演された。
久保田万太郎は、築地座と文学座で上演された自作の戯曲をすべて演出しただけではない。
イプセンの『野鴨』やチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を演出して翻訳臭のない舞台をつくり、森本薫の『女の一生』を演出して、文学座の最大の財産演目に育て上げたことも見落とせない。
文学座は、久保田万太郎の歿後も、その戯曲を劇団の財産演目に書き込んで上演を受け継いできた。
創立30周年の1967年に『大寺學校』、45周年の1982年に『おりき』と『螢』、1983年に『雨空』、1984年に『彌太五郎源七』、50周年の1987年に『彌太五郎源七』と『ふりだした雪』、55周年の1992年に『房吉』と『かどで』が取り上げられている。
万太郎戯曲が文学座の中で生きつづけているのは、1983年に亡くなった龍岡晋の努力によるところが大きい。万太郎の俳句の弟子で、築地座、創作座を経て文学座へ入った龍岡
晋は、戦後に俳優から経営の仕事に転じたが、1974年に樋口一葉原作、万太郎脚色『十三夜』を演出して以後、座内で勉強会をはじめ、若い俳優たちに万太郎調のせりふを教え込んだのである。
『大寺學校』について書く余裕はなくなったが、明治も末の浅草の代用小学校が時代の波に押し流されてゆくなかでの、老校長大寺をめぐる人間模様は、名作と呼ぶにふさわしい。
1928年に築地小劇場で初演され、友田恭介が大寺、汐見洋が老校長の光長という配役だった。
1934年の築地座による上演では、友田恭介が再び大寺を演じ、光長は東屋三郎だった。戦後の1946年に六代目菊五郎と初代吉右衛門が帝劇で演じたのも珍しい記録である。
文学座が初めてこの戯曲に取り組んだのは1957年で、三津田健の大寺、宮口精二の光長という配役だった。
1967年の上演では、大寺役に新派の大矢市次郎を招き、三津田健が光長に廻ったが、35年ぶりの今度の上演では、出演者がすべて初体験になるというのもうなずける。
習字や素読や算術を教えた幕末の寺子屋を引き継ぐ私立の小学校は、市区改正・学制改革のあおりを受けて東京の町々から次々に姿を消していきます。
ほかの多くの作品と同じく、ここにも、そうした去り行くものに対する作者の惜別の思いが色濃く投影されています。
昭和3年の築地小劇場による初演は、伊原青々園(都新聞)や水上龍太郎(三田文学)などから激賞され、万太郎作品がレーゼドラマ(読むための戯曲)ではなく、上演に足るものであることを実証しました。
その後も9年には築地座で、戦後の21年には菊五郎・吉衛門合同公演で、いずれも作者自身の演出により再演、ここでも大成功を収めます。
文学座でも二度、32年(久保田万太郎演出)と42年(戌井市郎演出)に上演していますが、代表作と呼ばれながら『大寺學校』の上演例は決して多くありません。
独特の台詞術や「間」をどう肉体化するか、背景となる時代の匂いをどう再現するかなどの難しさがつきまとうからでしょう。
そうした困難を承知の上で、創立65年の総括として文学座は三たびこの名作に挑みます。万太郎作品の魅力を将来に伝えてゆくのが劇団の使命であると考えるからです。
文学座では創立30周年の折に上演されて以来35年ぶり3度目の上演です。
作者独自の作劇術、張りとうねりのある台詞と「間」の巧妙な駆使によって生み出される名作舞台をご堪能下さい。
『大寺學校』は昭和2年1月号から雑誌「女性」に掲載され、翌年11月、築地小劇場で劇団築地小劇場により初演。
演出は青山杉作、友田恭介の大寺三平、汐見 洋の光長、東山千栄子のたか子といった配役でした。
明治末年、東京浅草にある代用小学校の大寺学校は、市区改正、学制改革という時勢の波におされて今にも没落しようとしている。
校長の大寺三平は時代の流れにうとく、義理人情の世界に生きる老人。
彼は、親類づきあいをする野上という男の娘のことで、若い教員の峰と激突し、峰は辞職する。
おりから大寺学校創立二十周年祝賀会が催され、その会で彼は峰と会って和解する。
数日後、老教員の光長が校長を訪ねてくる。
酒を酌み交わしながら世話話をするうちに、光長の口から、野上が市の学校設立用地のため自分の土地を売ったと知らされる。
近所に公立学校が建てば、私塾の大寺学校は消滅せざるを得ない……
校長は悲痛な思いで浄瑠璃を口ずさみつつ、酔い潰れていく。
時代にとり残された二人の老教師がしみじみと酒を酌み交わすこの終幕は圧巻です。
浅草という古い伝統のある下町に住む人たちの義理人情を、大寺という主人公を通じて、秋の風物を背景として描いた詩趣豊かなエレジー。
作者独自の作劇術、張りとうねりのある台詞と「間」の巧妙な駆使によって生み出された珠玉の一遍といえるでしょう。
戦後も六世尾上菊五郎・初世中村吉右衛門一座などが上演。
作者の代表作というばかりではなく、昭和の戯曲史上にユニークな地位を占めています。
文学座では、昭和32年、久保田万太郎=演出、三津田健の大寺三平、宮口精二の光長、北城真記子のたか子などで初演、
42年の創立30周年の折には、戌井市郎=演出、大矢市次郎(客演)の大寺三平、三津田健の光長、吉野佳子のたか子といった配役で再演されました。
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