| 平成15年 文学座3月公演 〈文学座・紀伊國屋書店提携〉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2003年5月19日(月)〜28日(水) 紀伊國屋サザンシアター |
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前売・予約開始●2003年4月18日(金) |
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| 入場料 | ● | 一般 5,500円 学生(取り扱い文学座のみ)3,800円 |
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| (全席指定・税込) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ● | チケットぴあ 0570−02−9988/9999 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ● | キノチケットカウンター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| (紀伊國屋書店 新宿本店5F 店頭販売のみ 10:00〜18:30) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お問合せ |
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文学座 企画事業部 担当:白田 聡・矢部 修治 |
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| 03−3351−7265(10時〜18時/日曜・祝祭日を除く) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 【 配 役 】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 【 物 語 】 |
| 昭和30年代初頭。戦後の余韻が未だ生々しい時代の中で黒部第四ダムは建設された。 その巨大さと地理的条件の過酷さゆえ、絶対不可能と言われた建設工事に命をかけた男たちと、彼らを支えた家族たちの物語! |
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| 【どんな舞台?】 |
| 文学座、座付き作家の系譜 津田 類(演劇評論家) 文学座が5月に紀伊國屋サザンシアターで『龍の伝説』という芝居を上演するということは、4月号の「文学座通信」で詳しく予告されているので、すでにご存知の方も多いと思うが、この芝居は、昭和43年に三船・石原両プロが三億九千万の巨費を投じて完成させ、大ヒットした映画『黒部の太陽』で描いた、黒四ダム建設に必要な物資輸送ルート確保のためのトンネル掘削の難工事に、文字通り命をかけた男たちの物語の原本を素材として、新しい視点と構想のもと初めての舞台化を試みるもので、その成果が大いに注目されるところなのだが、実は、今度の上演にはもう一つ注目すべき点があるのだ。それは、この戯曲を書き、演出も担当する得丸伸二にとって、本公演としては初登場となる作品だということなのだ。成果いかんによっては、江守 徹に続く座付き作者の誕生となるかもと、期待される公演なのである。 文学座は、昭和12年の創立当初から優れた座付き作者に恵まれてきた。昨年初め、創立65周年を記念、久保田万太郎の『大寺學校』、岸田國士の『顔』『音の世界』『女人渇仰』、森本 薫の『退屈な時間』『ベンゲット道路』などの、これら創立時の作家たちの作品を連続上演して、まさに温故知新の成果と感銘を与えたのである。 久保田万太郎の『大寺學校』は昭和3年に築地小劇場で初演されたもので、文学座への書下ろしではないが、座では昭和32年に三津田健の校長、宮口精二の光長、北城真記子のたか子、万太郎自身の演出で上演されているし、昭和42年には僕も見ているのだが、新派の大矢市次郎が客演して校長、三津田の光長、吉野佳子のたか子で、このときは戌井市郎の演出だった。久保田作品の文学座での上演はかなり多いが、厳密な意味で座のための書きおろしというと、有島武郎の原作を脚色した『或る女』だけのようだ。 そこへゆくと岸田の場合は、記念公演の三作品のほか『歳月』『速水女塾』『道遠からん』などかなりの数にのぼっている。文学座三人の創立者の中で唯一、岩田豊雄だけは翻訳作品や演出が中心で、創作戯曲の提供はなかったようだ。しかし、森本 薫という優れた作家を誘って入座させ(昭和15年)、初期の文学座の舞台を飾った。 庄司総一の原作を田中澄江と共同脚色した『陳夫人』(昭和16)、岩下俊作原作を脚色した『富島松五郎伝』(昭和17)、丹波文雄の原作を脚色した『勤王届出』(昭和18)などの脚色物のほか『怒濤』(昭和19)、そしてなんといっても、敗戦間近い20年、空襲警報のサイレンに怯えながら初演の幕を開けた『女の一生』など、座にとって忘れられない秀作を提供した。病気がちで早世したのが惜しまれるが、没後の24年には『かくて新年は』、25年には『華々しき一族』が初演され、その後何度となく再演が重ねられている。ちなみに、諏訪を当たり役にしていた杉村春子の最後の舞台が、『華々しき一族』であったのも何かの因縁だろう。 昭和24年、芥川比呂志に誘われて入座した矢代静一も『絵姿女房』『国性爺』『黄色と桃色の夕方』など数多くの作品を書き下ろし、座付き作者としての仕事をしたが、38年の退座後も『七本の色鉛筆』や『黄昏のメルヘン』、『夢夢しい女たち』など、多くの作品を提供、常連作者のひとりとして活躍した。31年入座、38年『喜びの琴』上演をめぐるトラブルで退座した三島由紀夫も、代表作の『鹿鳴館』を筆頭に『薔薇と海賊』『熱帯樹』『十日の菊』などを次々に書きおろし、27年から31年まで座員だった福田恆存も、歌舞伎の八世幸四郎父子が文学座の面々と共演して話題になった『明智光秀』を始め、『龍を撫でた男』『明暗』などを書いている。 そして久しぶりに誕生した座付き作者が江守 徹。彼の初仕事が平成2年の『似顔絵のひと』だ。ある新劇団の内幕を才気煥発な筆致で描き、モデル探しの興趣をも添えたものだった。そして推理劇風な『その先は知らず』、『夜のキャンヴァス』『絹布の法被』『あ?!それが問題だ』と続いている。この間に、平成5年には演出部の鈴木正光が『舞台 愛しすぎる人たちよ』を書き、今回の得丸が8年、座内の勉強会のために処女戯曲『アジアン・パラダイス』を書いて演出も担当、思いがけないほどの好評を得た。これが今回の彼の本公演デビューのキッカケとなったわけだが、こう見てくると、文学座には伝統的に座付き作者の地下水脈みたいなものが流れているような気がするのだ。 確かに座内の書き手には配役上の妙味を発揮できたり、座独自の観客の嗜好を反映させ易かったりと、いろいろ有利な条件が備わっている。が一方、座外の作品には存外の新しさを発掘するという楽しみもある。これまでの文学座のレパートリーには、この両者がうまく噛み合ってきた感じがする。飯沢 匡、水上 勉、有吉佐和子、宮本 研、そして別役実といった人たちの作品が、それを実証してくれている。 |
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| 中島みゆきの「地上の星」が年頭のヒットチャートを賑わせています。市場調査会社“オリコン”の調べでは、1月20日付で、発売から二年半を経てはじめて首位に輝いたとのこと。男たちの“応援歌”と称され、カラオケでも盛んに歌われている「地上の星」は、NHKの人気番組「プロジェクトX」の主題歌として静かなブームを呼び、大晦日の紅白歌合戦で中島みゆきが熱唱、それを契機に大ブレイクしました。 その“紅白”をご覧になった方はご存知のとおり、この曲は関西電力黒部第四発電所の作業員移動用トンネルの中で歌われました。これもまた「プロジェクトX」との関わりで、発電所建設の苦闘を描いた「厳冬・黒四ダムに挑む―断崖絶壁の輸送作戦」は、視聴者に多大の感動を与え、再放送を望む声が今も多く寄せられているそうです。 閑話休題。5月―紀伊國屋サザンシアター公演、得丸伸二=作・演出『龍の伝説』もまた、昭和31年に着工した黒四ダム、なかんずく建設物資輸送ルート確保のためのトンネル掘削に命をかけた男たちの物語です。 昭和20年代後半、朝鮮戦争特需によって敗戦の痛手から立ち直った日本経済は発展への道を歩み始めます。30年代に入っても流れは変わらず、31年7月の経済白書では「もはや戦後ではない」という宣言がなされ、戦後の復興期に終止符が打たれました。続いて押し寄せた「技術革新」の波、「設備投資」の拡大は、生産力の急上昇をもたらし、経済は完全に成長期に突入します。国民生活も大きく変貌して、電気洗濯機・テレビ・電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれたのもこの頃です。 そうした未曾有の経済発展をささえるには、当然ながら膨大な量の電力を必要としました。昭和28年10月には政府が「電力5ヶ年計画」を正式決定、世界銀行からの借款を受けながらその達成を目指します。関西電力が社運をかけて「黒部川第四発電所」と「黒部ダム」の建設に踏み切るのも、そんな時代の要求があったからです。 敗戦から10年。関西の経済は復興の遅れに喘いでいました。関東に負けじと重工業への転換を試みますが、産業の命、電力の不足が致命的なアキレス腱となっていました。昭和26年には渇水と石炭不足が原因で、工場などの大規模需要先では週に二日、一般家庭では週三日間の休電日があったほど。その後事態はやや改善されるものの、電力不足は関西の経済成長を妨げる深刻な足枷であり続けました。 関西への電力供給は関西電力の責務。各地に次々と水力発電所・火力発電所を新設するのですが、それだけではまかないきれず、新しい巨大な電源開発が必要なことは誰の目にも明らかでした。当時、すでに火力発電が主流となりつつありました。しかし、火力発電は出力を大きく上げ下げすると発電効率が悪くなります。需要の変動に即応するには、出力調整の容易な水力発電も不可欠だったのです。いわゆる「火主水従」の考え方です。これに基づいて関西電力は黒部川に白羽の矢を立て、大規模な貯水池式・大出力の水力発電所建設を決定しました。 黒部川は、河川の勾配が急峻で水量豊富、水力発電にはうってつけの最適地です。しかし、ほぼ人跡未踏ともいえる険しい地形と厳冬の冬がネックとなって、工事は最初から多大な困難が予想されました。事実、発電所建設は当初の予想をはるかに越える難工事となります。 昭和31年7月、建設工事は始まります。まず問題となったのは建設物資輸送ルートの確保。そこで、資材運搬のための、全長5.4四キロにも及ぶトンネルの堀削工事が、10月から急ピッチで進められます。はじめ順調であった工事は32年5月に「破砕帯」にぶつかり、そこから流れ出す大量の湧き水に邪魔されて最大の危機を迎えます。工事は一時中断、七ヶ月にわたる苦闘の末、ようやく12月に破砕帯を突破して、33年5月にトンネルは開通しました。 トンネルの完成によって資材搬入路が確保され、以後ダムと発電所の建設がスピードアップします。そして昭和38年5月、ついに黒部ダムは竣工、総工費513億円、延べ労働人員一千万人にも及ぶ巨大プロジェクトは所期の目的を達成しました。 この世紀の大工事を題材として、昭和39年5月から9月まで116回にわたって毎日新聞に連載されたのが、木本正次氏の記録小説「黒部の太陽」で、その原作に深い感銘を受けた得丸伸二が舞台化を思い立ち、今回上演の戯曲『龍の伝説』が誕生しました。なお、昭和43年には映画化もされました。三船プロと石原プロの共同製作、熊井啓監督、三船俊郎・石原裕次郎主演「黒部の太陽」は三億九千万の製作費を投じた大作で、大ヒットし、その年の興行収入トップに輝きました。 不可能といわれた難工事に果敢に挑戦し、見事に成功させた男たちと、それを支えた家族達の物語。迫真のドキュメント劇にご期待下さい。 |
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| 昭和20年代後半、戦後の復興にともなう電力不足は深刻を極め、とくに関西地方では、長期の電力使用制限を行なうなど、大きな社会問題となっていた。刻々と変動する電力需要……、時代は膨大な量の電力を求めていた。 昭和31年、男たちは不可能と言われた「黒四」建設に挑む。しかし日本最大のダムを完成させるには、延々と続く絶壁や黒部川の激流など大自然の要塞を克服しなければならない。最大の難問は物資輸送ルートの確保。思案の末、全長5.4キロにも及ぶ物資輸送用トンネルの堀削を立案するが、作業が困難を極めるのは必至。男達の激闘はこのとき幕を開ける……。 人間の知恵と努力の限りを尽くし、多大な工費を注ぎ込んだ難工事はこうして始まり、7年の歳月をかけて「黒四ダム」は完成しました。そして、この歴史的偉業をめぐる物語、得丸伸二=作・演出『龍の伝説』が5月・紀伊國屋サザンシアターの舞台に登場します。『龍の伝説』は一昨年4月に<文学座・座内作家を育てる会>と銘打ち、信濃町の稽古場で発表されて大好評、内外ともに大きな反響を呼びました。再演を望む声も多く寄せられました。その成功が今回の劇場公演に結びついたことは言うまでもありません。 では次に、この作品のモチーフとなった「黒四」について、もう少し詳しく触れておきましょう。 「黒四」とは、黒部川第四発電所と黒部ダムの総称です。北アルプスのほぼ中央を流れ日本海に至る黒部川は、水量豊富で、しかも河川勾配が急峻なことから、大正時代より水力発電に適した川として注目されていました。が、険しい地形と冬の厳しい気候が人を寄せつけず、国立公園に指定されたこともあり、開発は容易ではありません。 昭和31年、不可能とされたその世紀の大工事に、関西電力が社運をかけて挑戦します。7月に建設着工。建設工事のなかでも、ダム建設地点までの輸送路の確保が最重要でした。そこで、長野県側の扇沢からダム建設地点に至る大町トンネルの堀削工事が10月より急ピッチで進められます。32年5月、工事は「破砕帯」にぶつかり、最大の危機を迎えます。破砕帯とは、岩盤のなかで岩が細かく割れ、地下水を溜め込んだ軟弱な地層のこと。工事は一時中断、7ヶ月にわたる苦闘の末、12月にようやく破砕帯を突破し、トンネルは33年5月に開通しました。 これで資材搬入ルートが確保され、ダム・発電所の建設が本格化します。そして昭和38年5月、ついに黒部ダムが竣工、総工費513億円、延べ労働人員1000万人を投入した巨大プロジェクトは完成しました。 至上命令でもあるトンネルの完遂を目指して、この未曾有の難工事に挑んだ男たちや、それを支えた家族達の心温まるエピソードを交えて『龍の伝説』のドラマは展開します。史実に基づく迫真のドキュメント劇。5月19日の開幕を楽しみに待ちたいと思います。 |
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