【後援:日本シェイクスピア協会タイアップ企画・『オセロー』の劇世界を彩る男たち/女たち】
 


この度、文学座公演『オセロー』の上演にあたり、後援の日本シェイクスピア協会(日本におけるシェイクスピア研究の促進を目的とする非営利の学術団体)の会員による本作の解説をご紹介。
『オセロー』を倍楽しんでいただけること間違いなし!
ぜひご観劇前にお読みください。


日本シェイクスピア協会ホームページ



【ジェラシーの渦】
篠崎 実(日本シェイクスピア協会会長・千葉大学教授)


 「ああ、将軍、嫉妬(ジェラシー)に気をつけてください、それは緑の目をした怪物なのですから」
という、オセローが妻への疑惑をいだき、劇の大きな転換点となる「誘惑の場面」第三幕第三場でイアーゴーが言いはなつこの台詞が、『オセロー』という劇のもっとも有名な台詞であるだろう。けだし『オセロー』はジェラシーの劇なのである。この言葉はふつう「嫉妬」と訳されるが、それ以上に広い意味をもっている。激しい怒りや敵意、自身のものを失うまいとする強い欲求、愛する相手が奪われるのではないかという不安、他人のせいで自身の望みの達成が阻害されるのではないかという猜疑心などのさまざまな感情が含まれるのだ。この劇の男性登場人物たちの関係を考えるとき、イアーゴーから発せられる強いジェラシーの渦が、他の男性登場人物たちを呑みこんでいくということが言える。

 ヴェニス軍の旗手イアーゴーのジェラシーは、将軍オセローと副官のマイケル・キャシオーのふたりに向けられている。開幕劈頭、彼は、デズデモーナに恋している頭の弱いロダリーゴーに、戦闘経験が乏しいのに戦術家ぶるフローレンス出身の色男キャシオーを、自分を差しおいて副官に取りたてたことで、オセローを憎んでいることを話し、デズデモーナとの仲を取りもつと約束して、ロダリーゴーのオセローへの敵意をかき立てる。

 だがイアーゴーは、オセローへの遺恨について別の、さらに根深い原因を告げる。オセローが「おれの寝床に入りこんで/おれのかわりを務めた」との噂があることに触れ、将軍が妻エミリアと関係をもったと疑っており、その復讐のために、オセローが結婚したばかりのデズデモーナに関して「激しいジェラシーに取り憑かせてやる」と考えているのだ。

 次いでイアーゴーは、デズデモーナの父ブラバンショーをジェラシーの渦に巻きこんでいく。そこにいたってイアーゴーから発されたジェラシーの渦は個人的な恨みを超えたものであることが露呈する。密告を受けてオセローと娘の駈け落ちについて公爵に訴えるも、公爵にふたりの結婚を認めるよう説得を受けたブラバンショーは、「ならばトルコにキプロスを盗ませればよいのだ」と、褐色の肌をもつムーア人と白人の娘との結婚が、ヴェニスのだれもが共有する異教徒や異人種にたいする警戒と敵意というかたちのジェラシーを刺激することを明らかにしているのだ。

 冒頭に引いたイアーゴーの言葉は、デズデモーナの行状にたいする疑いは自分の強い猜疑心が生みだした妄想だからと言って隠そうとすることで、自身の誠実さを信じさせ、デズデモーナへの疑いをオセローに植えつけるためのものである。オセローは手もなく騙され、「おれの一生がジェラシーに毒されると思うのか」と言って、初めてその言葉を口に出し、自身の疑念を意識しはじめ、そこからジェラシーの渦に一気に呑みこまれていくのだ。



【今もあるかもしれない悲劇-『オセロー』の女性たち-】
松山響子(駒沢女子大学教授)


『オセロー』の女性登場人物たちは、デズデモーナ、エミリア、ビアンカです。彼女たちは、それぞれ「オセローの妻」、「イアーゴーの妻」、「娼婦(で、キャシオーの愛人)」と説明されます。全員、誰かの「妻」ないしは「愛人」です。3人の演じ方、あり方や受け取り方は時代とともに変わっていきます。

デズデモーナ
オセローの妻「デズデモーナ」はヴェニスの上院議員ブラバンショーの娘でお嬢様です。当時の女性は父親に背くような行動はしません。しかし、デズデモーナは「駆け落ち」で結婚し、夫に付いてキプロスに行く決断もします。愛のために意志を貫くデズデモーナの行動は共感しやすいです。そして、その共感しやすさゆえに、その後に起こる悲劇のコントラストも強くなります。
喜劇ならば、デズデモーナとオセローの結婚でめでたく物語は幕を迎えますが、『オセロー』の場合は結婚生活が悲劇に至る道を描き出します。キプロス到着後、楽しいはずの新婚生活はイアーゴーの策略で暗転をします。オセローに自分と年齢の近い若い軍人の取りなしを性急に頼む姿は観客の目から見て心配になります。その行動をイアーゴーは悪意を持って夫であるオセローに説明し、彼女は着々と追い詰められます。デズデモーナは最後まで、なぜ夫が自分を疑うのか分からず、オセローに殺害されます。
デズデモーナの若さや、無邪気さを強調した場合、その無邪気さゆえにイアーゴーの策謀に完全に翻弄される哀れな女性の悲劇と見ることができます。しかし、オセローと結婚する手段が駆け落ちしかないと判断できる思慮深いデズデモーナと解釈した場合、信頼した夫による疑いと詰問は、自立した女性の陥る絶望と悲劇をより強調します。

エミリア
イアーゴーの妻「エミリア」はデズデモーナの侍女として登場します。デズデモーナより年上のエミリアは少し調子が良い女性のように見えます。彼女はデズデモーナが落としたオセローからの贈り物のハンカチを、疑問を抱きながらイアーゴーに渡します。その後、デズデモーナの不貞の証拠としてハンカチが言及されると、エミリアはイアーゴーの策略に気がつき、彼の罪を白日の元に晒す役割を果たしますが、イアーゴーに殺害されます。
 エミリアの性格も2通り考えられます。長年の結婚生活で夫の気まぐれをなんとなく受け流しているという解釈。もうひとつは、イアーゴーのDVによって夫の行動を疑う気力を奪われてしまっているという解釈。後者の場合、戯曲後半でのエミリアの行動は同じ状況に苦しむデズデモーナへの共感であると見ることができます。エミリアとイアーゴーの結婚生活が不健康なものであるという解釈はいまの観客が、エミリアを理解するため必要な要素なのかもしれません。

ビアンカ
キプロス在住の娼婦「ビアンカ」の登場する場面は、そもそも多くありません。観客はイアーゴーの言葉から彼女が「娼婦」と知ります。そして、恋人キャシオーは彼女を愛人として扱っています。ビアンカは職業ゆえにまともに扱ってもらえないのです。キャシオーがロダリーゴに襲われて怪我をする場面で、ビアンカはキャシオーを襲ったとしてイアーゴーに捕えられてしまいます。この時、居合わせたエミリアにビアンカは罵倒されます。作品を通して常にビアンカの職業と愛人という社会的に庇護されない立場が強調されます。そして、観客にもその偏見を突き付けるのです。


3人の女性登場人物を見ていくと、彼女たちの社会的な立場の弱さが目につきます。でも、彼女たちの状況は、自らの正しさを証明したり、逃げ出したりすることの難しさを示しているのではないでしょうか。そして、『オセロー』が昔の物語ではなく今も起こりうる悲劇とみることで改めて3人を理解することができるのではないでしょうか。





株式会社 文学座
〒160-0016 東京都新宿区信濃町10
TEL 03(3351)7265
FAX 03(3353)3567