インタビュー&稽古場レポート
 

Report『欲望という名の電車』の稽古場から〜「継承」に立ち会う緊張と喜び

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『欲望という名の電車』(1947年ブロードウェイ初演)と『ガラスの動物園』(45年同初演)は、世に出て70年以上が経つ今なお世界中で上演される続けている、まごうことなき劇作家テネシー・ウィリアムズの代表作だ。これまで国内外の様々な座組、配役、演出で観てきた二作品からはそれぞれに、過去(記憶)や固定概念に縛られた登場人物たちの葛藤や苦悩を突きつけられ、毎回重量級の観劇体験となっている。

また、二作は共に文学座にとって縁深い戯曲でもある。『欲望〜』は杉村春子のブランチ、北村和夫のスタンリー(80年の上演は江守徹がスタンリーで北村はミッチを演じた)で、53年の日本初演から594回の上演を重ねた伝説の演目。『ガラス〜』も62年に試演会上演をした後、本公演以外にも文学座研究所の授業でも長く使われた戯曲であると、2019年の、高橋正徳演出版の上演パンフレットで知った。
高橋は文学座で29年ぶりの『ガラス〜』を演出し、続けて今回、35年ぶりに新たな『欲望〜』の創出に取り組むことになる。その佳境の稽古の一部を、ZOOM越しに取材する機会を得た。感染症禍、ZOOMを活用したインタビューや本読みの取材はしていたが、稽古をカメラ越しに見学するのは初めての経験だ。
夕刻、取材のために公開された稽古は2幕6〜8場までを通し、演出家がコメントするというもの。ブランチが自身の新たな庇護者として一縷の望みをかける、スタンリーの親友ミッチとのデート帰りの場面から始まり、ブランチの誕生日を祝うパーティの顛末へと繋がるパートだ。

6場は自身の、女性としての価値を演出するブランチと、朴訥に彼女へ想いを寄せながらもその真意を探らずにはいられないミッチとの駆け引き、続くブランチが語る若い頃の結婚と破綻、死の記憶が語られる非常にスリリングなシーン。山本郁子演じるブランチは、はじめはレディ然とした態度でミッチを操り取り込もうとする作為的な振る舞いから、後悔と心の傷に引き裂かれる過去の再現を鮮やかに演じ分ける。血を吐くようなブランチの告白に、その場で心も胸も開くミッチ=助川嘉隆のピュアなありようが束の間の救いに感じられる。
だが続く7,8場は登場から戦闘モードのスタンリー=鍛治直人が一転してヒリつく緊張感を舞台に満たす。追い詰められた姉のためせめても、と誕生祝いの準備をするステラ=渋谷はるかの優しさは、夫が嗅ぎつけた姉の「秘密」のため無残に踏みにじられる。
山本ブランチと鍛治スタンリーの対立、言葉に始まり実力行使へと加速するその諍いは野生の獣の縄張り争いのよう。移民としてハンディある人生のスタートを切らざるを得なかったスタンリーが築き上げた今の生活、上流育ちの妻との結婚や授かった子ども、属する小集団でのリーダー的地位。そんなささやかな幸せを、ブランチは存在するだけで否定してしまう。同時に行き場を失ったブランチにとって寄る辺は妹ステラしかなく、スタンリーこそがライフラインの要にも関わらず、今の自分を保つためになけなしのプライドにすがりつき、彼の生まれや言動に否定的であることを隠さない。

抱え込んだ弱み、傷やコンプレックスを隠すため相手を攻撃する。そんな、自分が承認されないことに過剰に反応するブランチとスタンリーの様子は、出自も時代も関係なく、今を生きる私たちにも重なる煮詰まり方だ。一方が相手を叩きのめし破壊するまで闘いは終わらず、その血みどろの情景を至近で見続けねばならない渋谷ステラの苦しみが、生々しく伝わってくる。
3場の通しは40分ほどで終わり、その後、演出・高橋からの確認や提案が俳優たちに渡されていく。飄々とした高橋の語り口もあって、場面はシリアスだが俳優との受け答えの随所に笑いも起こっていた

役同士の距離感や立ち位置の角度、わずかな出入りのタイミングなど細やかな指摘が続く中、7、8場のステラの台詞に対し「はじめからスタンリーの圧に従うのではなく、ブランチへの態度への反感、怒りなども忘れないで」というアドバイスが印象的だった。ステラが、いきり立つ夫と姉の間でただおろおろするだけの被害者ではなく、自身の意志を持つ女性に見えることで、この家のパワーゲームの構図は変わってくる。演出家の洞察、高橋が今作に見出す新たな視座に期待が膨らんだ。
あっという間の1時間、稽古は続くが取材はタイムオーバーに。高橋から総括として「今日は新訳を手掛けていただいた小田島恒志さんにも来ていただき、さらなる示唆をいただきました。公演初日まで一週間足らずですが、全員でさらに戯曲を掘り下げ、深める作業を最後まで続けたいと思っています」との言葉があり、締めとなった。

長く上演される作品は、人間の本質に迫る普遍的な思索やテーマがあり、また時代ごとに読み直し、「今」と結ぶ新たな発見をつくり手に促してくれるもの。まして『欲望〜』は文学座という劇団の歴史、その太い支柱の一つというべき作品だ。35年ぶりに文学座で新たに創造される今作は、演出家からプランナー、スタッフ、そして俳優までのカンパニーと、それを支える劇団全体にとって、また日本の演劇界にとっても重要な「継承」の機会だと思う。その目撃者になれることに、緊張を感じると同時に喜びを禁じ得ない。

※役名の表記は今回公演に合わせた。
(文・尾上そら /撮影・宮川舞子)